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宇宙の旅 A Space Odssey [Cinema 映画]





ロシアで行われている火星探査の長期模擬実験 "Mars 500" で遂に!宇宙飛行士が火星!?に降り立ったそうだ。








 








実験は何でも520日間もの長期隔離だそうで、何ともまあ大変な実験なんだけど、
米国アポロの飛行士達が人類として初めて月面に降り立った1969年以降、3年間で6回の着陸を行ったが
それ以来、人類が他の天体に降り立った場面を私たちは見ていない。残念なことだ。



その代わりに私たちはSF映画の中でそういう場面を堪能してはいる。








 








1968年に公開されたスタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」"2001:A Space Odyssey"は今でもSF映画の最高傑作とされている。
この映画が公開されて、その翌年には実際にアポロの飛行士が月面に降り立ち、それを生中継で見た私たちは
惑星探査が21世紀初頭には実現出来るし、それを見ることが出来ると夢想してもいた。



だけど現実にはそうはならなかった。20世紀前半というのは二度の世界大戦を経て、乗用車や鉄道、航空機と
恐ろしいほどの進化を遂げたし、原爆や原子力発電といったテクノロジーを現実の物にもした。
宇宙空間へ出て、それを有効利用する所までは各国の競争もあり進化を続けたが、他の天体に出るというのはハードルが想像以上に高かったということだろうか。




結局、生きている間に惑星に人類が降り立つ場面を見るというのは残念ながら私は見ることが出来ないようだ。
かつて子どもの頃に夢想した場面は映画の中で楽しむしかないようなんだな。


1956年制作の「禁断の惑星」"Forbidden Planet" は時代を遡って50年代に作られたということで言えば
古典的傑作だ。個人的にはSF映画の最高傑作と思う。
















「禁断の惑星」はSF映画に必要なあらゆるモチーフが満載だ。
中でもロボットのロビーは宇宙家族ロビンソンにも登場したことがあったはずだが、後のSF映画に与えた影響は
「宇宙の旅」以上のものがあったのだろうと思う。
潜在意識下の怪物と博士、そしてロビーの関係性など、哲学的な啓示さえ示してくれる。


一方で、惑星アルテアに住む若い女性、博士の娘を演じたアン・フランシスは美貌と色気を兼ね備えた魅惑的女性であった。
中学生の頃にそれをTVで見た私は鼻血が吹き出しそうだったかもね。


そのアン・フランシスも先月亡くなっていたようだ。
LIFEの哀悼特集でそれを知った。









「ラスト タンゴ イン パリ」のマリア・シュナイダーも今月亡くなっていたのか。
これも中学生の時に映画雑誌のグラビアで彼女を見て余りに妖艶過ぎて高校生が見るには垣根が高いと感じて
そのまま見損なってここまで来ている。
改めて調べてみると、イタリアでは公開4日で上映禁止処分になっていたそうな。
マーロン・ブランドはともかく彼女が死ぬまでこの映画を見ないままここまで来るとは思わなかった。

哀悼の意味を込めて彼女の映画を何処かで探して拝見させて頂こうかな。













Russia & India Musical Film ロシアとインドのミュージカル映画 その2 [Cinema 映画]




7月に「絶滅危惧種のミュージカル映画」という表題で日記を書いたのだけど、
これは日本の映画館での話であって、世界に目を拡げてみればミュージカルは脈々と生き続けている。


去年1月にウクライナ・ドネツク市の映画館でロシア映画を観る機会があった。
私はロシアに何度か行ったことがあるのだけど、ロシア語が駄目だ。
だから論評する立場にないのだけど、その時の映画 " Стиляги " は最高にご機嫌なミュージカル映画であった。
翻訳スーパーがなくても意外に映画のストーリーは追えるものだし、映像だけで充分理解出来るシーンは少なくない。
それもミュージカルならダンスと音楽を楽しめば良いのだから、私は充分に楽しまさせて頂いた。








 

Стиляги 










” Стиляги ”は 英語訳すれば Hipsters  日本語で言えば、何と言ったらいいか、「流行人」と言えばよいかな。

映像はこの映画のラストシーン。

 

Facebook で友人達に確認したのだけど、ここはモスクワのティベルスカヤ大通り。最後の背景に遠く見えるのはクレムリンだ。やはりそうだったのかと思いつつ、このシーンの驚異的撮影に再び感心してしまう。

 

 

主人公が大通りに出て、そこから3分20秒もの長回し撮影。ノーカット編集だ。これは凄い。

ミケランジェロ・アントニオーニの「さすらいの二人」のラストシーンも凄かったが、一気に感動を盛り上げて終わるエンディングは実に爽やかだ。

 

 

 

 

 

日本に入って来る外国映画は米国に加えて、僅かに韓国程度。

昔はフランスやイタリア映画が流行った時代もあったが、最近は輸入が少なく日本では低調だ。

 

しかし、このロシア映画のように海外に秀逸な作品は実に多い。しかも、この映画は日本や米国において絶滅寸前のミュージカル映画だ。

こういうご機嫌で洒落た現代感覚溢れる作品を日本人が観ることができないというのは実に残念なことだとも思う。

 

 

 

 

さて前回の時に言及しなかったのだけど、それは世界最大の映画大国インド映画のことだ。

インドの映画というのは、あまり知られていないのだけど製作本数は世界一、映画館の観客動員は知らなかったのだけど、これも世界一なのだそうだ。

 

 











Masala Movie in India










ボリウッド Bollywood というのはネット上でよく目にしていたが、ハリウッドをもじったということだそうだ。

特にこの10数年、マサラムービーというインドやパキスタン辺りの映画が一部で人気になったのはご存知の方も少なくないと思う。

このマサラムービーはミュージカルシーンのオンパレードで必ず映画の盛り上げに一役買うパートだ。

 



そんなマサラムービーの歴史は深い。マニアックなマサラファンの方ならカルト的映画かも知れない。
何と東京オリンピック直後にロケをしたかと思われるマサラムービーを見つけた。
それが " Love In Tokyo " だ。











" Love In Tokyo " 1966









いやあ、何ともそんな時代からマサラムービーが、それも東京ロケで行われていたとは!
何とも驚きなんである。東京オリンピックを成功させて高度成長が始まった時代の日本。
それと、インド・マサラムービーの驚くべきマッチング。
ミスマッチと片付けられないほど貴重な映画の映像だし、高度成長に突入した日本とインド・マサラ映画の
化学反応は驚異の世界だ(笑)。




世界は広い。ロシア映画もインド映画もほとんど日本で紹介されていないし、
映画の世界も日本人が観ているのはその一部だということも再認識させられる話だね。










山椒大夫 Sansho The Bailiff [Cinema 映画]


感動感銘を受けて涙する経験を持たれた方はいらっしゃると思うが、この映画は私がボロ泣きした稀有な映画だ。


社会人になったばかりの若かりし頃、名古屋市内場末の映画館に出かけた。
もうその頃の邦画は斜陽になっていて、日活ロマンポルノとか、昔で言えばピンク映画が上映されるような映画館ではあった。


平日の午後、観客は労務者風のおっさんばかり。だが、上映作品は邦画界の巨匠、溝口健二作品2本立てであった。


溝口遺作の「赤線地帯」と「山椒大夫」である。だが、遺作の「赤線地帯」の印象がほとんど残っていない。
京マチ子とか若尾文子とか若かりし頃の美人女優が出演していて京マチ子とか妙に色っぽいなという程度の印象だった。


先に観たのは「山椒大夫」であった。
記憶になかったのだけど、少年時代の厨子王役は津川雅彦なんだそうだ。そうだったのか。

これは森鴎外原作の同名作品を映画化した不朽の名作であったが、この作品はベネチア映画祭で賞を受賞した程度の予備知識しかなかった。




だが、モノクロフィルムのスクリーンを観続けるにつけ、その中に吸い込まれるように感情移入していったのだった。


平日の午後、私は平安時代にいたのである。










山椒大夫 " Sansho the Bailiff " 1954 Opening




  







YouTubeでは英語でスーパーインポーズされたビデオ全編を?アップしてくれている人がいる。
オランダの人のようだ。日本の古典的名作に関心を寄せ、ビデオをアップしてくれた。ありがたいことだ。



さて、映画館の私。
スクリーンの中に溝口マジックで吸い込まれていた私は佐渡島まで主人公が訪ねてくる場面に、終幕が近いとは思っていた。


それにしても、不覚ではあった。厨子王が長い旅路の果てに遂に・・。



この場面で、私の眼から大粒の涙がこぼれ始めてしまった。それが止まらない。
それは頬を伝い、顎に一旦止まり、そして顎からポタポタと膝にまでこぼれ落ちていたのである。


感極まり、あ〜と思っている内に、「山椒大夫」は終幕を迎えてしまった。まずい、まずいではないか。
不覚にもボロ泣きしているこの段階で照明がついて、明るくなるなんて駄目だろう。
駄目だ、駄目だと思っている内に場内が明るくなってしまった。



あ〜、まずい、当時はやばいという言葉が流行る前だったと思う。今なら心の中でやばいと思っただろうが。
こんなことを書くと外国にいる私の知人は翻訳を読んでも何のことか分からないな。混乱するな。



眼は真っ赤である、たぶん。2本立てなので休憩時間だ。
「あ〜、恥ずかしいな、どうしよう」と思いつつ、左右を眺めたら労務者風のおじさんたちも何と涙を!こぼしていたのである。



あ〜、日本人だからな。その頃までは、まだ日本人には親子の絆というDNAが色濃く受け継がれていたのだ。



昨今の日本人、家族の有り様を見ると崩壊しつつある。そういう現代の親子はこの映画をもし観るならどう感じるだろうか?
もう涙をこぼす時代ではなくなっているかな。




まあ、お時間のある方はこのビデオを画面いっぱいに広げてご覧頂きたい。その場合は次のラストシーンを先にご覧ならないよう。











" Sansho the Bailiff "  Ending










英語が分かる外国の知人にも暇があったら観てももらいたい。
ハリウッドのアクション作品に支配されたこの時代、もうこういうテンポの作品はほとんど出てこないから、そういう意味でも貴重だよ。



それにアクションを満喫して後に何も残らないフィルムより、心に沁み入る、記憶に残るフィルムはそれだけで価値がある。そう思うな。











20世紀最も印象的であった女優と男優 [Cinema 映画]

最近はFacebookで手抜き投稿ばかりしている。駄目だな。



さて、お気軽投稿した中で最近のお気に入り。20世紀で最も印象的で偉大だった女優と男優は誰だろうか?


皆さんの心の中でそれぞれの想いがおありだろうが、
数奇な運命であったこと、役者としてピークに近い所で夭折した点で最も印象的であったのはこの二人だ。


ただし、二人とも私が物心つく頃にはこの世から去ってしまっていたので、
映画館で彼らの作品を一度も見たことがない。


それでも印象は強烈であった。


子どもの頃にTVで見たマリリン・モンローの作品などは
彼女が余りにエロチックで、子どもの私が見ても良いのかと思いつつ眺めていたのを思い出す。















Marilyn Monroe  1926-1962
 














しかし、二人とも人生そのものが余りにも劇的であった。
余りにも劇的に役者人生を疾走して逝ってしまったので、今も人々を魅惑する。













James Dean 1931-1955
 









ジェームズ・ディーンは既に故人であるにも関わらず、
若い頃の叔父が心酔しきっていて、ブロマイドやポスターの収集、そしてファツションを真似るなど
とても影響を受けていたので、幼い頃から知ってはいた。


大学進学で東京に住んで間もなくジェームズ・ディーンの写真展があって、それを観に行った。
ほとんどモノクロ写真の中から彼が強烈な個性でもってメッセージを出しているのに深く感銘した。


物言わぬそれは主演3作品以上のメッセージであったかも知れない。

















Natalie Wood  1938-1981












ナタリー・ウッドは私の番外編。
いつまで経っても清楚で純粋そうな美しさが際立っていた。

映画館で観たのは「ウエストサイド物語」「グレートレース」 「雨のニューオリンズ」。


どれも眩いばかりの輝かしさをスクリーンの中から放っていた。
もっともっと活躍して欲しかったが、彼女も長く生きることはなかった。残念なことだ。


このブログを書いていて知ったのだけど、彼女はロシア移民の子だったのだね。
知らなかった。
彼女が亡くなって30年近くが経つが今頃になってそれを初めて知った。そうだったのか。
そして、そんなにも月日が流れたのか・・。


「理由なき反抗」では 若きジェームズ・ディーンと彼女が共演している。
この二人が円熟しての共演を観てみたかった。



しかし、二人ともスクリーンの中では今も光り輝いている。永遠に・・。












"The Sweet-Heart Tree"  from  "The Great Race"












絶滅危惧種のミュージカル映画 Red Data Musical Film [Cinema 映画]


最近、映画館からも足が遠のいている。
ストレス解消できるような情況もないまま、介護だけの暮らしに心模様は右肩下がりだったかな。
このまま人生が下がり続けていき、死に至るような錯覚に囚われていたのかも知れない。


さて、映画の1ジャンルにミュージカル映画というのがある。私が子どもだった頃はミュージカル映画が全盛時代であった。


ミュージカル映画は1960年代前半がピークとなった。

アカデミー作品賞61年が 「ウエスト・サイド物語 」” West Side Story”
63年が「マイ・フェア・レディ」 " My Fair Lady" 
65年、「サウンド・オブ・ミュージック」 " The Sound of Music" である。


隔年でミュージカル映画が作品賞を獲得していたのであるから、一目瞭然だ。
中でも「ウエスト・サイド物語」はブロードウェイミュージカルをそのまま映画化したものだった。


アカデミー賞10部門を獲得、アメリカ移民の人種問題などを題材にした社会性のあるテーマが
当時としては極めて斬新で、大きな話題を攫った。









" West Side Story " 1961







「ウエスト・サイド物語」は当時としても異例だと思うが
東京では61年から63年まで1年半に渡りロングラン上映されたというから隔世の感もある。


当時はテレビも登場してきていたが、映画はまだまだ娯楽の頂点を辛うじて極めていたのかも知れない。
「ウエスト・サイド物語」の登場は私の親の世代の人々が青春を謳歌していた頃で、
私は後年、中学生の時にリバイバル上映で観にいったものだ。


今では数年も前のリバイバル上映というのはあり得ないが、VTRもDVDもない当時は、
封切り映画館で数年前の名作、大作が正規料金でよく上映されていた。




このウエスト・サイド物語、改めてYouTubuにアップされたものを見ても、如何に画期的であったかがよく分かる。
ジェローム・ロビンスの振り付けが余りに凄いのでとてもじゃないが、半世紀も前の映画とは思えない。
60年代に映画館で見た時の新鮮さが今見ても、何とそのままなのである。


陳腐さが何処にもない。
2010年の今日、時代背景を1960年のニューヨークにして製作された物だとしてもまったくおかしくないほどなのだ。




そして、如何にウエスト・サイド物語が斬新で凄い演出がされていたかを証明するビデオクリップを見つけた。
何と映像はウエスト・サイド物語、そして音声は全てマイケル・ジャクソンで吹き替えた物だ。


これが何とも凄い! 凄いなとしか言い様がないほどの出来映えなのである。












” West Side Story ” replacing music by Michael Jackson !!!
 Replacing music, it's so cool!!!  Synchronizing it's so great!!!










ウエスト・サイド物語とマイケル・ジャクソン。
映画と音楽、興行という夢の世界で頂点を極めた両者の出会い、ミキシングがこんなにも劇的であったとは。


編集が凄い。本来の映画より凄いかもだ。
マイケル・ジャクソンのヒットソングがこんなにもシンクロナイズしていいのかとさえ感じるほどだ。


そして改めて思った。
ウエスト・サイド物語が如何に偉大な作品であったかということを!





長くなったので、この辺りの話については明日にでも引き続き、書かせて頂こうかな。











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